好き勝手に・げーあにん?

ファミコンと同い年の社会人ヌルオタの日記

“作家”と呼ばれる人たちとの思考の違いを思い知る

世間の論争が一段落したところで、自分用考えまとめ。書評についてというより、自分の視野の狭さについてですけどね。

最初にこれを見たときは、「そりゃそうだろうな〜」ぐらいにしか思わなかったんだけど、その後のエントリーで驚いた。

何に驚いたかって、ネットの意見ってそんなに作者に影響を与えられるんだなーという点で。もっというと、作品の良し悪しは、ほぼ作家先生一人で背負ってるわけだから、ちょっとの批判でもずっしり来るんだろう、という少し言われれば当たり前のようにわかる視点が欠けていた自分に驚いた。

そんな視点すらないのは、所詮は私自身が会社やプロジェクトの歯車のひとつでしか無いからなのかもな、とか。クライアントやユーザーから来る批判なんてほとんど「それ、会議で話し合ったよ」とか、「それ、やりたかったんだけど(予算とか技術的にとかの都合で)できなかったんだよ」って感じだよね。批評なんて会議の結果の答えあわせみたいなもんだから、そんなに傷ついたりはしないよなー。もちろん、ベターな選択でなかった事への反省はするけど。

上からの要望が来た時に「もうできてます」とか「こんなこともあろうかと*1」とか言えるように備えている危機予測って、今まで創作者視点に近いんじゃないかと思ってたけど、ガチガチの技術者視点なんだろうな、きっと。

どうせ私は“創作者”にも“職人”にもなれない、ただの三流技術者ですよっと*2

あと、自分はやっぱり消費者視線しかないんだろうな。クリエイティブとは程遠い人間の考えなんてそんなもんさ。


‥‥話しがそれすぎた。という事で、作家さんや編集さん的には無責任なただのヤジだと念頭に置いた上で、これからもだらだらと思ったことをそのまま書き留めて行こうと思ったのでした(えー)。そういう視点があるのだけは理解した。見る可能性がほぼゼロの作家さんの事より、少しは見に来る可能性がある人のことを‥‥うちのサイトはそれすらも考えてないけどな! 自分用でしかない!

ゲームみたいに多人数の意見がまとまって作られてるものは、的外れじゃなければガンガン批判してもいいと思うよ。会議の答え合わせさせてあげようよ。まぁ、製作者が見てる可能性なんて超低いけど。


本音を言うと、創作者と呼ばれる人たちには、ネット上での垂れ流しの批判なんかで揺らいで欲しくないんですけどね。ちょっと幻想抱きすぎか。いいじゃない、人間だもの。

*1:はてなキーワードになってて吹いた。半分ギャグなんて書かれてるけど憧れのセリフですよね?w

*2:職人に成らなければいけない - 神様なんて信じない僕らのために の影響も受けつつ。言葉(肩書き)の意味に拘る=誇りを持ってるのは素晴らしいですよね。三流以下の私にはハードル高いけども