俺‥‥アイマスイベントが終わったからマリオギャラクシーやってるんだ‥‥。‥‥死亡フラグでもなんでもないな。スター50個、グレートスター5個。(アイマスで)忙しいとかいいつつ、気づけばトータル9時間近くやってるよ。
以前書いた箇条書きを時間があるときに文章化していこうかと。‥‥予定は未定。うちのサイトの合言葉(久しぶりに言った気がする)。
今回は、『箱庭』ではなくなった事について。それを考えると、今回のマリオの舞台が宇宙になった理由が見えてくる。
軽くネット上の感想を眺めた限りでは「迷わなくなった」という意見が非常に多いように思える。それだけ今までの3Dマリオではユーザーが迷っていたということでもある。
マリオ64から、マリオはもちろんゼルダやピクミン、ちびロボなどで度々使われてきた『箱庭』という表現。今更、箱庭の楽しさを延々語ってもしょうがないので略。
自由な空間があるぶん、どうしてもステージ構成としての密度が低くなり、何をやっていいのかわからない、どこへ行けばいいのかわからない、というのが箱庭の欠点といったところだろうか。
『箱庭』での迷いやすさへの対策は、マリオサンシャインでも行われていた。一番大きなところでは、絵の具による行ける場所の制限と、クリアによる解放。狭さと行動制限をそれほど意識させずに、箱庭の良さを活かした冴えたやり方だったと思う。実際、マリオサンシャインで「迷う」という意見はそれほど聞かなかった。マリオサンシャインでよく聞いた台詞であった「難しい」の影に隠れていただけかもしれないが、それはまた別の話し。
今回のマリオは箱庭での迷いにくさを求めるのではなく、箱庭の規模縮小を選び、複数の狭いエリアを移動する方式をとった。これなら迷うはずは無い。ほぼ一本道のルイージマンションのようなものだ。迷わないということは、誰しもが楽しい仕掛けをもれなく楽しめるし、迷う時間がない分、密度も濃くなる。箱庭特有の楽しさとを天秤にかけて、ギャラクシーは脱箱庭を決めたのだろう。
ただ、箱庭をつくることをやめるだけでは終わらないのが任天堂であり、マリオである。球体のような地形、星と星との移動で、狭いエリアを移動しているという印象をまったく感じない。むしろ宇宙というイメージを持たせることで、より広い空間で遊んでいるかのような錯覚を覚える。
球体や楕円形のような星が並んでいても使いまわしをしているという感覚も少ない。陸が殺風景でも「宇宙だから」で補完される。ひねくれた考え方を持てば持つほど、巧妙さばかりに気づかされる恐ろしい発想である。背景は星空でOK→宇宙だから。オブジェクト少なくてもOK→宇宙だから。エリア間の移動が多少冗長でもOK→宇宙だから。3D酔いしやすくてもOK→宇宙だか‥‥ら?
まったく意識させずにディスクロードを行っているのもさすがである。ユーザーに切り替えを感じないことで、各エリアの広さを更に演出している。つか、ホントにいつロードしてるんだこのゲーム。ステージ中の長めの移動はロード時間を稼いでるのか? でも、遠くにあるスターピースはポインタで取れるしなぁ‥‥。
発想、経験、理論、技術の全てが噛み合った結論。それがマリオギャラクシーなのかもしれない。